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謎のesper情報

esper総合ブログ(爆)

個性と上達の話

剣術をかじってる奴とは戦いやすい、剣を持ったド素人の方が不覚を取る可能性が高い、みたいな話があるんですよ。

これ、何でかって言うと、素人は一つには型にはまった動きをしてくれないということもあるんだけど、一番の理由は、素人が斬り合いをやるってなったら、何も考えずに必死でやるっきゃない、ってことだと思うんだ。

つまり、無意識的に行われる行動は、頭でごちゃごちゃ考えてやる行動よりもだいたいの場合ハイパフォーマンスってこと。

理合いに則った動きでも意識的にやってる状態であれば遅すぎて、無我夢中の素人にやられることもあるわけ。これは守破離の守の段階で、この段階は下手すると弱くなるんだよね。

だから、剣術家は禅とかやって、無意識的に技が使えるように修練するわけ。破とか離の域だろうけど、僕には破と離の区別つかないでーす。

さて、この間Twitterで、真似をすると絵描きの個性が滅せられるという話があったんだよね。

んなことないよと思うんだけど、一面ではその気持ちも分からんでもない。まぁ僕は絵描きではないけど、人間のパフォーマンス一般、上達一般の話として聞いてください。

で、真似の仕方にも種類があるのだけど、基本的には意識的に真似をするわけ。あの人のここはこうなってるとか、意識して真似る。

すると無意識的な表現が抑圧されて、パフォーマンス、絵描きの場合なんだろう?芸術性?説明できない良さ?感情へ訴えかけるもの?あと自分がやってて楽しいかどうかとか、なんかそういうのが、減ぜられる。

恐らくこれが個性が無くなるということを言ってるんではないかなと思うわけ。だとすると、それはよく分かるし、当然起こりうることだよね。

つまり、無意識的なパフォーマンス=個性という定義であれば、真似は個性を失わせるというのは全く正しい。

もっと言えば、理論を学んで個性はなくなる、という現象もこれで説明が付くわけだ。

ただ、それって守の段階の話で、数をこなして無意識化し、個性と統合を果たすことで、今度は個性がバージョンアップするのですよ。

そもそも上達って、下手な自分の個性を否定して、上手な自分の個性に変化させるプロセスであるから、現状の個性にしがみついていても良いことないぞ。

それと、他人と全く同じ個性になってしまうことを心配する人もいるかも知れないけど、個性=無意識は身体性から来てるので、他人と同じ身体を持ち得ない以上、必ず個性というのは出ちゃうので心配ないです。